タウフィック・ヒダヤットは同一年にオリンピックと世界選手権の2冠を達成した史上初のプレーヤー。インドネシアが、2002年に勝ち取ったトマス杯を今年の大会で再び奪取できるかどうかは彼にかかっている。
21世紀初めの偉大なバドミントン選手を1人だけ挙げるとすれば、それはタウフィック・ヒダヤット以外にはない。これまで誰も成し得なかったオリンピックと世界選手権の2冠獲得というバドミントンの才能だけでなく、コート上でのカリスマ性、バドミントン選手というよりもむしろ芸能界のセレブ的印象を与えるコート外での発言や振る舞いなど、彼の魅力を数え挙げたらきりがないほどだ。
「ベビーフェース」というニックネームを持つ25歳のタウフィック・ヒダヤットには2つの顔がある。1つは誰もが知っているコート上での顔で、常に冷静沈着で自信にあふれ、持ち前の才能と抜群のゲーム感覚で世界のバドミントン界をリードする至宝としての彼である。実際、インドネシアのこの天才のプレイを見ると、バドミントンは極めて簡単なスポーツではないかと思えてくる。もちろん、バドミントンに必要とされる知識、スピード、ビジョン、精神力など、彼はすべてを兼ね備えている。
しかし、それが発揮されるのは彼が集中した時だけだ。もう一つの顔、すなわち勝つ気がない時の彼には目を覆いたくなるようなゲームが幾度もあったし、大きな大会で早々と姿を消したことも一度や二度ではない。しかし、ひと度タイトルを取ろうと決意した時は、非常に高い確率でそれを達成してしまう。タウフィック・ヒダヤットとはそういうプレーヤーだ。特に、母国の観衆を前にプレイした時に、最高の力を発揮することが多い。インドネシアオープンを5回も制していることがそれを証明している。ライバル陣営からは、彼のホームコートであるジャカルタのサナヤン・スタジアムでタウフィックを負かすことは不可能だという声さえ聞かれるほどだ。
面白いことに、彼がビッグトーナメントに参加すると、毎回、特異な事件が起きる。2001年、スペイン・セビリアでの世界選手権の準決勝戦では、同じインドネシアのヘンドラ・セティアワンと対戦しリードしていたにもかかわらず、タウフィックはコート上で突如倒れ担架で運び出されてしまった。それから3年後のアテネ・オリンピックでは、この最も権威あるイベントで信じられないようなゲームをした結果、表彰式で一番高い壇に上ることができた。そして、彼はそこで金メダルを首にかけながら大泣きしていた。さらに、その翌年、ディズニーランドのあるカリフォルニア州アナハイムで開催された世界選手権では、最高のプレーヤーたちを打ち破って栄冠を手にし、これまで誰一人として成し遂げることができなかった偉業、即ちオリンピックと世界選手権の2冠王を達成した。
しかし、タウフィックはこれまで順調なキャリアを歩み続けてきたわけではない。自国のバドミントン協会と対立したこともしばしばあり、実際にインドネシアを離れたこともある。友人であり、師であり、信頼する相談相手であり、インドネシア協会(PBSI)から表彰されたこともあるムルヨ・ハンドヨの後を追い、2001年にはシンガポールに居を移した。しかし、数ヶ月後には再び母国へ戻り、中国の広東で開催されたトマス杯ではインドネシアチームの一員として戦い決勝まで進出するなど、インドネシアの優勝に大きな貢献を果たした。1999年にアジアジュニア選手権を制してからのタウフィック人気は絶大で、シンガポールへ脱出した一件も彼の人気に影響を及ぼすようなことはまったくなかった。
事実、タウフィックとファンの間にはラブストーリー的な関係がある。母国での彼は、イギリスにおけるデヴィッド・ベッカムと同じくらい有名人である。バドミントンでの活躍と同じくらい頻繁に、コート外での出来事が自国の雑誌を賑わせている。数多くの有名人のガールフレンドたちとの浮名や、コートの外での喧嘩にまつわる噂など話題には事欠かない。インドネシアでは最も有名な公人である。その最たる証が、最近、自宅で行われた彼の結婚式だろう。花嫁は、インドネシア国立スポーツ委員会会長アグム・グメラル氏の末娘で、2004年にアテネで知り合ったアルミ・ディアンティ・グメラル嬢。結婚式には4,000人を超えるゲストが招待され、その中にはインドネシアのユドヨノ大統領もいた。

チームメートと共に母国を代表して戦うトマス杯において、タウフィックはしばしばゲームを落としており、必ずしも満足のいく成績を残してはいない。インドネシアは2002年にトマス杯を獲得したが、2004年にはタウフィックのホームコートで中国に奪取されてしまった。
インドネシアがカップを再び取り戻すには、彼の活躍が不可欠なことは明らかだ。最近は練習不足気味で、数日前にはトマス杯の地区予選でタイのブーンサック・ポンサナに敗れている。チームが苦戦の末タイを下したとはいえ、インドネシアはタウフィックを最も頼りにしている。シングルスでは、最も数多くナショナルチームに参加したプレーヤーとして、年下のソニー・ドイ・クンコロとサイモン・サントソを率いてチームの命運を決めるはずだ。
すべてはタウフィックがどれだけやる気をもち、どのような精神状態で5月の本選に臨むかにかかっている。
タウフィック・ヒダヤット
1980年8月10日生まれ

| 1998 |
ブルネイ・オープン |
優勝 |
 |
| 1999 |
インドネシア・オープン
シンガポール・オープン
全英オープン
アジアジュニア選手権 |
優勝
準優勝
準優勝
優勝 |
| 2000 |
インドネシア・オープン
マレーシア・オープン
全英オープン
オリンピック |
優勝
優勝
準優勝
ベスト8 |
| 2001 |
シンガポール・オープン
スイス・オープン
世界選手権 |
優勝
ベスト4
ベスト4 |
| 2002 |
インドネシア・オープン
台湾オープン
アジア大会
アジア選手権 |
優勝
優勝
優勝
準優勝 |
| 2003 |
ジャパン・オープン |
ベスト4 |
| 2004 |
全英オープン
オリンピック |
ベスト4
優勝 |
| 2005 |
世界選手権 |
優勝 |
|